もはや陳腐化してしまった!大学に行く必要や意味がない6つの理由
大学は専門的な学問を専攻して学ぶところです。そして、年々大学進学率は上昇してきており、中学から高校へ行くように、高校から大学へと進学することが定石化していると言っていいでしょう。
そして、大学は勉強するところですが、その実態はどうでしょうか。怠惰な学生もいるし、授業内容もそれなりの学費に見合うものでしょうか。
様々な理由から、もはや大学に行く必要性や意味は存在しないでしょう。そこで、今回はその理由について紹介します。
大学に行く必要や意味がない6つの理由
1.大学でやることは自分で勉強できる
基本的に大学で学ぶことは教科書をもとにして進めます。しかし、よく考えてください。たった1冊の本を半年かけて学ぶのです。
1冊の本ならば本気で読めば1日で読むことができます。そして、ほとんどが授業を担当する教授の書いた教科書を使用しているだけで、授業のほとんどが教授の研究自慢でしかないのです。
その分野を学びたいならば、自分で本を買うなりネットで検索するなりで簡単に独学できます。わざわざ、誰かに本の内容を半年かけて説明してもらう必要はありません。
時間がもったいないです。自分で勉強したならば、その半年間の時間に何冊読めて、どれだけの知識を蓄えることができるでしょうか。本当に勉強したい人ならば、大学にはいかず、自分で熱心にやった方が多くのことを学ぶことができます。
2.ほとんどの学生が勉強せず、サボって遊んでばっか
そして、ほとんどの大学生が勉強せず、サボってばかりです。出席はまじめな人に任せ、課題も写して楽に単位をとるなど、とても卑怯です。
そしてサークルでは飲み遊んでいるだけで、時には問題を起こすこともあります。遊びすぎて単位が取れず、留年する人もいるでしょう。
大学は勉強する場なのに遊びほうけている人が多すぎです。大学に進学しようとする高校生のほとんども、勉強を楽しみにしているのではなく、大学の遊べる自由さというものを楽しみにしています。
別に遊ぶのに大学に行く必要はありません。ニートの方が遊ぶ時間などたくさんあります。そのような意識の低い学生ばかり、本来の大学としての機能が働いていません。陳腐化しているので、意識の高い学生はなおさら行かない方がいいでしょう。